D君のこと
2021/06/01
D君は、高1から高3迄通って来ました。塾ではもっぱら先取り学習をしていました。そのことによって、学校の授業は余裕を持って受けられたと思われます。他にも、前もって数学の問題を解いていて分からない問題を塾に持ってきて質問していくというスタイルで学習していました。「大学への数学」の増刊号にも手を出していました。彼にはその問題集が合っていたようでした。
一橋大学の経済を目指していて、高3になってからは、目標大学の過去問をひたすら解いていました。しかし、高3の11月頃に社会の論文形式の問題に対応できないと本人が自覚して、九州大学に志望校を変えました。その後、センター試験の結果が思ったほど取れなかったので、最終的には2次配点の高い東北大学の経済を受験し合格しました。慶応義塾大学の商学部も合格していたので、どちらにしようかと相談されましたが、本人の意向で結局東北に決めました。
彼の良いところは、勝つ為の戦略を自分なりに工夫し、適応していったことだと思われます。何が何でもこの大学と頑なに固執するのでなく、柔軟に対応出来たのが成功の要因だったと考えられます。数学だけでなく、国語のいい参考書はないかとか、他にも色々と訊いてこられました。ついつい、プライドが邪魔して他人に質問するのを躊躇してしまうのが人の常ではあります。質問できる相手、場というものはどこにでも有る訳ではないです。今しなければ、もしかすると一生しないまま終わってしまうかもしれません。そういった質問、疑問に対して、私なりに真摯に対応して来たつもりです。
彼は数学が得意だったので私立大学は社会でなく数学で受験していました。私立文系の場合、社会が得意な生徒は一杯います。一杯いるけれども、社会で満点を取るのは難しいですが、数学なら可能性はあります。その辺を狙っていって、有名私大を幾つか合格していたので、余裕を持って国立大学の受験に臨めたのも勝因の一つであったと思われます。
ところで、勉強する目的とは何でしょうか?生徒にとって切実な処では試験があるからということになりますが、究極の目的は何でしょうか?私にとっては、今迄分からなかったことが分かるようになる。また、今迄知らなかった事を知るという事になります。そういう点では全くの自己満足ということになりますが、それで構わないと思っています。勿論、勉強した、学習したからといって、必ずしも何でも分かるようになるという訳ではないですが、少しでも進歩できれば良いと思っています。実際少しずつ分かることが増えていくと、それ以上に分からないことも増えていくというのが現実ではあります。本来、学習というものが、分かっている事と分かっていない事とをはっきりさせる事と考えるのならば、自分自身の能力の限界を突き付けられる作業でもあります。そういう点では辛い部分もありますが、そういった事も含めて楽しんでしまおうという気構えで良いのではと考えています。これが、今の処の私の処世術です。老婆心ではありますが、勉強する意義、意味について自分なりに把握しておくことは、それこそ意味のあることと思われます。